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草加Alive

先日、僕の地元で25周年のライブを行いました。
沢山の方々にご来場頂けて、本当に感謝しております。
ありがとうございました!

表現者の端くれとして、上手く表現出来なければならないのに、この気持をまったく表現出来ない自分が恥ずかしく、もどかしいです。
それほどまでに僕にとっては生涯忘れられないくらい最高のライブでした。

ただ、一つ言えることは「地元」とは、場所ではなく、「人」なんだということを教わりました。

このライブを成功させるべく、ご尽力頂いた関係者の皆様や、ライブに足を運んでくださった皆さん。
そして、僕の陰なる理解者でいてくれた同級生。
本当に感謝の気持でいっぱいです。

来年は、いよいよキリのいい26周年です。
ふふ…。

何処に出しても恥ずかしい草加の馬鹿野郎の僕ですが、これからもお付き合い願えれば幸いに存じます。

今後ともよろしくお願い致します。

埼玉県草加市出身
立川俊之

 

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Prince!!

また一人、僕たちの青春だったスーパースターがこの世を去りました。
世界的なアーティストプリンス様。
ご逝去されたというニュースが、俄かには信じられませんでした。
まだお若いのに…。
また一人、天才が…。
寂しいかぎりです。

今夜は、「Raspberry Beret 」と「Little Red Corvette」のヘビーローテーションで、自分なりにプリンス様の死を悼みたいと思います。

心よりご冥福お祈り致します。

Rest in peace Mr.Prince!!

立川俊之

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50

4/17に僕の誕生日とニューアルバム発売記念を兼ねたライブを行いました。
生まれてこの方、「バースデーライブ」なるものには縁が無く、というより自分の誕生日を祝って頂くなどおこがましく、恥ずかしいかぎりなので、敢えて避けてきました。

ですが、今回はデビュー25周年の上に自身の年齢もちょうど50。
この「キリの良さ」に便乗して初めてバースデーライブを行いました。

たくさんの方々にお祝いして頂き、本当にありがとうございました。
感慨無量です。
この場を借りてお礼申し上げます。

立川俊之

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カルマというもの

25年間の音楽人生の中で、大半の時間、僕は自分の「業」というものを間違えていたように思います。

隣の芝は「蒼く見える」というだけで、実際には決して「蒼くはない」ということに気付くことも出来ず、ただ闇雲に曲を書き続け、我欲を束にした日々をめくってきました。

「変化」を受け入れてもらえないのであれば、傍流に甘んじ、深い諦念に包まれる中でも、それなりに重用されることで、ある意味溜飲を下げてきました。

しかし、人間は常に変化し続ける有機体だからこそ、そこにある真の人間たらしめる「業」に忠実でなければならなかったのかもしれません。

今回「それが大事」のアンサーソングを作るというお話を頂きました。
これを機にもう一度自分の音楽人生を振り返ってみることで、それに気付かされ、一念発起して新曲「神様は手を抜かない」を書きました。
4月13日にリリースされるこの楽曲を含むニューアルバムは、25周年記念アルバムという意味合いもさることながら、己の過去への「反省」と未来への「宣誓」という意味で、自分の中では大きな存在意義を持つことが出来ました。

これからは、自覚的に把握していたはずの自分の「役割」というものに恭順の意を示し、このアルバムを契機に「原点回帰」して、真の意味で面目躍如を果たすべく、己の業を常に意識しながら精進して参りたいと思います。

大事MANブラザーズ
立川俊之

 

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25th Anniversary

今年は正月明け早々から、ずっとレコーディングだった。
作業はほぼ完了したが、中々楽しく、素晴らしいレコーディングだった。
メンバー、スタッフを含め、久しぶりの大人数での作業だったため、その工程一つ一つの思い出や、思い入れは色濃いものとなった。

今年は僕にとって25周年というアニバーサリーイヤーになるわけだが、一口に「25年」と言っても、それはそれは長い年月である。
その年に産まれた人は、もう25歳になる。
時間軸の視点を変えれば、僕が産まれる25年前と言えば、我が国はまだ第二次世界大戦の最中にあったわけだ。
そう考えると「25年」という時間は、中々、感慨深いものがある。

よくもまあ、性懲りも無く、「この道」だけをやってこられたなぁと、我ながら驚きの感も否めない。
然しながら、やってこられたんだから、この際、その事実を甘んじてお受けして、やれることをやってみようという思いに至った。

今年は、25年振りに僕の生まれ故郷でもライブをやることにした。
以前、このコラムでも書いたが、当時とは、見る影も無いほど様変わりしてしまった僕の「地元」ではあるが、僕が生まれた場所に変わりは無い。
恩恵も屈辱も受けてきた。
それなりに思い入れや、想い出もたくさんある。
僕が久しぶりに「帰郷」するライブによって、そんな地元の何かの一助になれば嬉しい限りだ。

レコーディングがやっと終盤を迎えたのも束の間、3月からはライブや、リハーサルに没頭する日々になりそうだが、「春」はもうすぐそこである。
記念すべき2016年が、いよいよ本格的に始動する。

あちこちで、また皆の顔に会えることを考えると、血湧き肉躍る思いである。


tckw

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さよなら、モーリスさん。

先日、1995年に発売した僕らのアルバム「SOS BATSU」をプロデュースしていただいたEW&Fのモーリスホワイト氏の訃報を知りました。
報道によれば、モーリス氏は長きに渡る闘病生活の後にご逝去されたのことで、僕も大変驚きました。

小学生の頃から聴いていたアース。
「September」や「After the love is gone」など、好きな曲を挙げ出したら枚挙に遑がないほどです。
そんな尊敬して止まないモーリスさんに、僕らのアルバムをプロデュースして頂けたことは、20年という長い時間を経た今でも、まるで夢のようです。

実際にお会いし、毎日、一緒にレコーディングをさせて頂いたモーリスさんは、とても気さくな方でした。
およそ「世界のスーパースター」というような立ち居振る舞いは一切せず、凄く親しみ易く接してくださったことを、まるで昨日のことのように記憶しています。
とは言え、一旦、レコーディングに入ると、その長いキャリアから得てこられたプロの眼光鋭い目つきや、その存在から放つ「オーラ」のようなものに、気圧されたことも同時に憶えています。

モーリスさんがあまりに気さくに接してくださるので、レコーディング中、しばしば、その偉大な存在を忘れてしまいそうになるのです。
然しながら、ある瞬間にふと、
「僕は今、凄い方を目の前にして、レコーディングしてるんだ」
という現実に引き戻されると、改めて身が震える思いでした。

緊張でガチガチになっている僕を、モーリスさんはフレンドリーに接することで、解してくださっていたのです。
その甲斐あって、レコーディングも滞りなく進み、出来上がった作品も素晴らしいものとなりました。

そんな僕にとって、数奇でかけがえの無い思い出をくださったモーリスホワイトさんは、もう、この世にいないのですね。
とても寂しく、残念です。

あの日、ロスアンゼルスのレコーディングで教えてくださったことは、今でも僕の宝物です。

モーリスさん、さようなら…。

そして、ゆっくりおやすみください。
心よりご冥福お祈り申し上げます。


立川俊之

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メリークリスマス!!

来年のデビュー25周年を間近に控え、この年末は24年間の「膿」をすべて出すことを余儀無くされました。
なかなか厳しい修行のようにも思えましたが、素晴らしい教訓となり、今後の自分に大きく役立つものとなった気がします。

「我欲」に執着してばかりいると、見えるものも見えなくなってしまうという恐ろしい教訓を得ることが出来た年でした。
軸をきちんと持っておくこと、自分の「役割」というものをきちんと把握しておくこと、そんなことにも気付かされました。
自分にとって本当に大事なものを危うく見落とすところでした。
まだまだ、反省です。
折に触れ、お伝えしたいと思いますが、とにかく、色々な意味で勉強させられた年末でした。

「身の丈を知る」とは、本当に難しいことです。
来年からも精進して参りたいと思います!

僕にとっての厳しい時間を越えて、やっと取り戻した素晴らしい季節。
この年末にかけて、沢山の素晴らしい方たちと出会わせて頂いてます。
今年は生涯で一番素敵なクリスマスを迎えられそうです!!
周りの方々に感謝です!!
僕のような人間を支えてくださったこと、感謝の念に堪えません!
皆さん、本当にありがとうございました!
来年もよろしくお願い致します!

「艱難辛苦」とは素敵な言葉です。
「慮る」とは本当に難しい言葉です。

それでは、皆様も素敵なクリスマスをお過ごしください!

メリークリスマス!!


tckw

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極上空間

先日、BS朝日の「極上空間」という番組に出演させて頂きました。
番組内容は、毎週二名の異なるタレントさんやアーティストなどが、ドライブしながらトークしていくというもの。
(詳しくは下記URLをご覧ください)
僕はSHOW-YAのヴォーカリスト、寺田恵子さん(以下ケイコ姉さん)とドライブをさせて頂きました。

姉さんとは、僕が大事MAN時代には殆んど接点が無く、割りと近年になってから番組やイベントでご一緒させて頂く機会が重なり、今回、縁あってご一緒させて頂きました。

素顔のというか、実際にドライブさせて頂いたケイコ姉さんは、あのカッチョよろしい「Rock」なルックスからはおよそ想像出来ないほど気さくな方で、僕のような愚鈍な「ヤカラ」にも、終始優しく接してくださり、とにかく「温かい人」でした。

ご一緒させて頂いた姉さんの僕個人的な感想は
「NAONのYAON」というよりは、
「保温のナオン」でした。
すみません(笑)

閑話休題

番組では車中の楽しいやり取りや、水族館の擬似デート(笑)最後には、セッションもさせて頂くなど、内容も盛りだくさんなので、是非、皆さんオンエアーを観てくださいね!

最後になりましたが、この場を借りて、ケイコ姉さん、番組スタッフの皆さんにお礼を申し上げたいと思います。

楽しい時間を過ごさせて頂き、本当にありがとうございました。

BS朝日
「極上空間」
O.A日時
12月26日(土)22:59〜23:30
http://www.bs-asahi.co.jp/gokujou/index.html

tckw

 

極上空間

 

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青春綺譚

「ドストエフスキーの二重人格くらいなら俺にも書ける」

突き抜けるほど馬鹿な少年だった僕は親友たちの前でそう宣うと、その場の全員に一笑に付された。
当然である。
知らないということはあまりに恐ろしい。

前回、旧友についてコラムを書いた辺りから矢鱈と当時を思い出すようになった。

歳か。
トシか。
どうでもいいか。

十代の頃の僕らは矢鱈と語り合っていた。
毎日のように僕の家に誰かが遊びに来ては、まだ学生だというのに朝まで語り合い、フラフラのまま学校に行く者、そのまま午前中まで我が家でサボる者と、まあとにかくそれはそれは酷いものだった。
太宰治に坂口安吾、永井荷風に谷崎潤一郎、J.Dサリンジャーにドストエフスキー、カミユだ、カフカだ、レイモンド・カーヴァーだと、よく知りもしないのに無頼派はああだ、耽美主義がこうだと、矢鱈と聞いた風な大口を叩いていたものだった。
終いには、ニーチェだ、デカルトだ、カントだ、キルケゴールだ、ユングだ、フロイトだ、アドラーだと、上っ面のにわか哲学者の登場である。
もう、こうなると始末に負えない。
しかし、その破竹の「バカトーク」はさらに映画や演劇にまで及ぶ。
トリフォーだ、ゴダールだ、フェリーニだ、ブニュエルだ、ジム・ジャームッシュだ、黒澤明だ、小津安二郎だ、鈴木清順だ、寺山修司だ、山海塾だ、大駱駝艦だとまあまあよくもあんなデタラメなことを偉そうに語れたものである。
今、考えるだけで恐ろしい。(笑)
冷汗三斗の思いである。
そして、時々「ちょいかじりの美術野郎」が遊びに来た日などはもう大変である。
ゴッホだ、ルノワールだ、モネだ、ゴーギャンだ、ドガだ、モローだ、ピカソだ、北斎だ、雪舟だと語り、印象派はどうで、ロマン主義はああで、写実主義とはこういうもので、ヘレニズム文化に影響を受けた美術がああだのこうだのと本当だか嘘だかよく分からないうんちくを朝まで傾けるのである。
あの頃そういうスノッブな連中が僕の周りには沢山いたんだ。
そして、その語らいの後ろでは、BGMにストーンズだ、デビッド・ボーイだ、フーだ、T-REXだ、XTCだ、コステロだ、ポリスだ、チープトリックだ、カルチャークラブだ、ビリージョエルだ、カーズだ、INXSだ、ウルトラボックスだ、ジョーンジェットだ、プラズマスティクスだ、クラッシュだ、マイケルジャクソンだ、エアロスミスだ、ブームタウンラッツだ、スタイルカウンシルだ、ピストルズだ、ニナハーゲンだ、ワムだ、APPだ、ジェネシスだ、ケイトブッシュだ、ELPだ、KISSだ、エアサプライだ、ジミヘンだ、スクリッティポリッティだ、ジャーニーだ、エコーアンドザバニーメンだ、キュアだ、S.O.Sバンドだ、スティービーワンダーだ、マーヴィンゲイだ、マドンナだ、ウィルソンピケットだ、ツェッペリンだ、デュランデュランだ、コモドアーズだ、ボズスキャッグスだ、シャーデーだ、マイアミサウンドマシンだ、大滝詠一だ、ユーミンだ、松田聖子だ、美空ひばりだと、まあとにかく趣向も節操もへったくれもあったものではなかった。

それだけ厚顔無恥を晒して偉そうなことを宣っておきながら、最後は決まって「恋と涙とロックンロール」に帰結する。
友達が帰った後、僕は一人でギルバートオサリバンを聴きながらヘルマンヘッセを読んで泣いたりしていたんだから。(笑)
なんともお粗末である。


あの頃のそういった話。
今思い返しても自分の中には微塵も残っていない。
しかし、それでいいのである。
青春なんてものは不確かで脆弱で無責任でデタラメだから美しい。
「何を覚えられたか」より「何を忘れられたか」が大事に思えてしまう昨今である。



tckw

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Say Good Bye To My Home Town

流れていく車窓の風景はあの日とはどこかが違う。その違和感から大方想像はついていた。
車内に告げられた親しみのある駅名のアナウンスがなかったら、僕は間違えて降りなかっただろう。
それほどホームも変貌していた。

駅前もその頃のものとはまったく姿形を変えていた。辛うじて「東口」と「西口」が判別できる程度で、眼前には高層型の居住施設が聳え立っていた。

「ここは、一体どこの新興住宅地だろう?」

1960年代前半。
当時は「東アジア一のベッドタウン」と呼ばれ、ある種の未来都市であった僕の「地元」は経年の老朽化のためURの対象都市となり、近々完全に「フルモデルチェンジ」することになった。
そんな情報を当時には無かった通信手段によって知らされたことで、改めて時間の長さを感じた。

前回のコラムでも書いたが、想い出の街に「お礼」を言うつもりで、何十年振りかの駅に降り立った。
その日は夕方から旧友たちと会う約束をしていたが、僕は早い時間から家を出た。何時間もかけてその様変わりした街と、辛うじて面影を残している僕の想い出の場所をゆっくり歩いて見て回りたかったからだ。
親しみのあった場所はあらゆるものが撤去され「衣替え」の準備をしていた。「夜はゴーストタウンみたいで、ちょっと怖いぜ」と旧友の一人が言っていたのを思い出した。

– 足が少し痛む –
夢中で沢山の距離を歩いたせいだ。
片手に携帯を持ち、我が街を片っ端から写真におさめた。

旧友との待ち合わせの時間が近づいていた。最後にもう一度生まれ育った場所たちにお礼を言ってからみんなに会いに行こうと、郵便局前の横断歩道を渡ろうとしたそのときだ。見たことのある「おじさん」が通りの向こうで自転車に跨っているのが目に入った。
その男も少し訝しげな眼差しでこちらを見ている。

「トシ…、だよね?」

その男を理解するのに時間はいらなかった。
旧友である。
彼も今日の飲み会のメンバーだ。
「そうだよ!いや、いや、久しぶりだなぁ」
僕は思わず感嘆の声を上げていた。
「トシ、もう来てたんだぁ?」
旧友は少し照れくさそうに会話の糸口を見つけた。
「うん。みんなに会う前に色々見ておきたかったから早めに来たんだよ。でも、お前なんでここにいるの?」
彼はこの辺りが地元ではない。中学校は同じだが小学校は違う。彼は駅に近い方に住んでいたので微妙にテリトリーが違う。そんな彼がこの辺りに用があるはずもない。ましてや既にゴーストタウン化したこんなところに。
「いやぁさ、この辺はまだ当時の面影が残ってるから今日の飲み会までにトシに想い出の場所を写真に撮って見せてあげようと思ってさぁ」
右手に持っていた彼のスマートフォンに僕は一瞥をくれた。
「いやぁ、悪いね…。ありがとなぁ」

僕は思い出していた。
こいつの「もののついでだから」という恩着せがましくないさりげない優しさを。
そして、当時から彼のそんな優しさに曖昧にしか礼を云わなった自分も。
「ごめんなぁ、でも俺も沢山撮っちゃったよ」
「そうだよね」
彼は少し残念そうに微笑む。
「でも、後で見せてくれよ」
「いや、いいんだよ。ただトシは俺とは若干テリトリーが違うじゃん?だから心の琴線に触れる場所も若干ズレがあるかもしれないから、上手く撮れているかどうか分からんし」
街がどんなにリニューアルしようとも、彼のこういう気遣いは当時と何も変わっていない。僕は只々、彼のそんなところに劣等感だけを抱くような「偏屈野郎」だった。

旧友たちに会うべく、僕たち二人は一緒に駅向こうの待ち合わせの店に向かうことにした。彼が自転車を押しながら僕たちは並んで歩いた。
こんな「おっさん」が仲良く話しながら歩いている様を後ろから見たらどんな絵面なんだろう、と思ったら少し可笑しかった。

駅前の小さなターミナルは、幾分日が長くなった夕景とともに生活の慌ただしさを醸し出していた。
バスやタクシーの往来。
買い物に急ぐ人たち。
待ち合わせと思しき人たちは皆、無口に携帯を見つめている。
僕ら二人はそんな慌ただしい通りを横切って待ち合わせの店へと向かった。

「いらっしゃいませー」

今日の幹事である旧友の奥さんの元気の良い朗らかな声に迎えられた。
この店は彼女が経営している。
彼女は僕らの少し先輩に当たる。
「お久しぶり、立川くん」
「どうもぉ、ご無沙汰してます」
「この間、テレビ観たよ」
「いらんこと、云わんでいいっすよ」
少し照れながら応えた僕に彼女は柔らかく笑った。
「今日はごゆっくり」
「ありがとうございます」
僕と自転車おやじくんは店の中へと入った。

店の奥に向かうと、そこには既に三人の旧友がビールを飲んでいた。
「おう、来た来た」
最初に声を上げたのは「幹事くん」。
「いや、いや、久しぶりだなぁ」
誰にとも無しに僕は言った。
店の奥の座敷が今日のテーブル。
一番奥に座っていた「赤ジャージくん」の右隣りに僕は腰を下ろした。
僕の正面に残りの三人が座り、これで今日のメンバーが僕を含め五人全員集合したことになるらしい。
なぜ「なるらしい」かと云うと、いつもこの幹事くんが招集をかけてくれるため、彼に任せっきりなので幹事くん以外、皆その日のメンバーをハッキリと把握していないのだ。
この幹事くんに就いて少し話しておこう。
彼は、先ほど偶然再会した「自転車おやじ」と同じ小学校。中学に進んでから皆が顔を合わせることになる。
幹事くんは、ガキの頃からどこか捉えどころがない感じのする男で、若い頃は「軽いやつ」と誤解をしていた。
今では大変申し訳なく思っている。
彼の優しさは自転車おやじとまた一味違うが、やはりさりげない。
そんな彼は「同窓会」や「同期会」といったものに余念が無い。
四半世紀以上、こういう集まりを彼は取り仕切っているのだから、最早「メソッド」と言っても過言ではない。
この日集まれたのも他ならぬ彼のおかげである。
彼の招集能力は目を見張るものがあるなぁと、昨今は感心している。
数年前に僕のライブでも、彼のその「招集能力」のお世話になった。
この場を借りて改めてお礼を言いたいと思う。
ありがとう、幹事くん。(笑)

さて、話をテーブルに戻そう。

僕らのテーブルの座り位置関係をもう一度言っておくと、僕の左隣りに赤ジャージくん、僕の正面左側に幹事くん、僕の真正面にテレキャスくん、そしてその隣りに自転車おやじくん。

このテレキャスくんは中学が一緒で同じクラスになったことはなかったが、高校に進んでから一緒にバンドをやっていた。その頃彼が使っていたギターがテレキャスターだったので、ここでは呼称を「テレキャスくん」にしておく。本人の同意は得ていないが。(笑)
彼も紆余曲折あり、長年勤めた会社を退社し、最近新たな挑戦を始めた。
素晴らしいと思っているし、微力ながら応援もしていきたいと思っている。

そして最後に赤ジャージくん。
彼は、実はこの中で一番古い友達だ。
彼とは小学校1年生のときから一緒。
「お前とは40年来の仲だって知ってたか?」
その日、僕がそう言うと
「40年ってなんだよ。人類の時間か?」
と赤ジャージくんは照れ臭そうに笑った。
彼は中学、高校と陸上部で、部長を務めていたこともある。
高校の頃はいつもジャージ姿で僕のウチに遊びに来ては、朝まで語り明かしたものだった。
実際に赤色だけを着ていたわけではないとは思うのだが、僕らの中では赤ジャージのイメージが強いので、ここでの呼称は「赤ジャージくん」としておく。勿論、これも本人の同意は得ていない。許せ。(笑)

僕らのテーブルの話題は専ら「健康」と「死」。(笑)
話題が逸れても、せいぜい「野菜」について。
「おっさんになると、これだからなぁ」
と誰かが言うと、皆一様に笑った。

笑いがおさまると仕切り直すような空気に戻る。
まだ人格形成が出来る前からの友達だから下手な気を遣う者はいない。
しかし、お互いのことは良く知っているが、普段から頻繁に会うというわけでもない。
その分、知り得ているからこそ、かえって気を遣うという図式も否めない。
皆、一様に「現在」に触れることもなく、ある種、慎重に言葉を選びながら会話しているようにも見えた。

「あと、何回このメンツで会えるかなぁ?」

ぽそっと赤ジャージが呟く。
一瞬の間があった後、皆は大声で笑った。
「まだ、そこまでじゃないっしょ?」
と幹事。
「いや、あながち笑えんかも」
と僕。
「まだ、20回やそこらは会えるでしょう?」
幹事のその言葉はテーブルの上にぽとりと落ちた。
「いや、それはリアリティ無いっしょ」
赤ジャージが呼応する。
「うん。無いな」
僕は呟くように言った。
赤ジャージの援護射撃という形になってしまった。
「やめ。やめ」
空気を察したテレキャスが笑いながら場を遮る。
「なんか、暗いよー」
と幹事も笑いながら言う。
自転車おやじは終始ニコニコしている。
そして、こう言った。
「俺、サラダ食っていいかなぁ?」
皆、遠慮なく笑った。

そんな楽しくて、どこか脆い会話は、あっという間に時間を奪っていた。

「じゃ、そろそろ行きますか」

幹事くんが絶妙なタイミングで結ぶ。
その言葉に皆、異論を唱えることなく従った。

彼は「幹事くん」でもあるが、同時に「お開きくん」でもある。
無闇矢鱈に「引っ張る」というような無粋なことはしない。
長年に渡り「旧友の集まり」を手掛けてきたから故であろう。
「懐かしさも今日はここまで。また近いうちに会おうぜ」というような彼の気持が見え隠れする。
そのさりげない感じが、またそこにいるメンバーを「明日」に向けさせる。
僕たちはお会計を済ませ、店を後にした。

駅まで五人で歩いた。
僕とテレキャスだけが電車に乗り、残りの者は歩いて帰路につく。
改札を抜けて、僕は一度だけ振り返った。
すると、三人がほぼ同時にこちらに向かって片手を軽く上げた。
「またな!」の合図だ。
僕とテレキャスも呼応するように片手を上げた。

テレキャスが住む駅まで一緒に電車に乗った。
「お前と一緒に電車って何年ぶりだ?」
僕が言うとテレキャスは曖昧に微笑んだ。
「だよねえ。気が遠くなるわ」
僕らは笑った。

テレキャスの駅で僕も一緒に降りることにした。
ほんの一時間ほど、駅前の居酒屋に二人で立ち寄った。

-ご同輩、また近いうちにな!-

終電をとっくに逃した僕を、テレキャスがタクシー乗り場まで見送ってくれた。

タクシーの車窓から流れる景色はいつもと同じ都会の夜景だった。
後部座席のパワーウインドウを少しだけ開けると、6月の真夜中の湿った空気が飛び込んできた。
大きく深呼吸をしてみた。

そして、今日のことを考えていた。
僕はあいつらの「優しさ」にいつも不遜な態度でしか応えてこなかった。
そんな「偏屈野郎」に彼らはあの日と変わらぬ笑顔をくれた。
たとえ、街が変わろうとも。
そのときハッキリと理解ができた。

僕にとって「地元」とは、あの変わり果てた場所なんかじゃない。
「あいつら」なんだと。

僕は左の人差し指でパワーウインドウのボタンを押して窓を閉じた。
タクシーは夜景を切り裂いて、僕の家へと向かった。


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My Home Town

僕が生まれ育った場所が年内には根こそぎ形を変えてしまうらしい。

東京近郊に位置する僕の地元は、当時「アジア最大のベッドタウン」と謳われ、各地区に学校、病院、商店街などインフラストラクチャーも整った一つの大きな「街」だった。
しかし、時代と共にその老朽化が進み、近ごろよく耳にする「UR」というやつの対象になった。
「都市再開発」が進むことはやむを得ないだろう。
有形物質は時間と共に朽ち果て、いずれは消える。
だが、そこで育った僕らの中にある「記憶」までは消すことは出来ない。

姉と遊んだ芝生、毎日のように野球をした公園、喧嘩した校庭、花火を見ていた屋上、夏祭りの大通り、盆踊りの櫓を組んだグラウンド、いつも声をかけてくれたパン屋さん、幼い頃から診てもらっていた町の小さな病院、納涼映画祭の商店街広場、バンド仲間と歩いた遊歩道、夜中まで語りあったブランコ、初めて野外ライブをした駅前の大公園、雨のバス停、初恋のベンチ、いちょう通り。

そのどれもが昨日のことのように思い出される。

「想い出」というものは、その場所の風景やその季節の匂いや風と共に関連付けて存在する。

だから、時々覗きに行きたくなる。

だが、もう僕の地元はその面影さえも残さず、一切合切消えてしまう。
一抹の寂しさを感じざるを得ないが、街も「前を向く」。
仕方のないことだ。
過去というものは、記憶の中にだけ存在しているからこそ美しい。

ありがとう!
My Home Town!

そして、昔の場所と友達の「今」に会いに行ってみよう。

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「卒業」というもの

寒々とした空気に包まれたその日の陸前高田の空はどんより曇った重たい鉛色だった。
瓦礫は一部を残してすべて撤去され、何もなくなった「更地」には、あちこちでショベルカーやユンボ、ダンプカーなどといった工事用車両が復興の作業を進めている。

僕がその夜宿泊した「316号室」の窓は東側に向いていた。
その海側に向いた窓の向こうには、すべてを失った町と見晴らしが良すぎるほど何も遮るものが無い景色が広がる。
本来であれば「絶景」と呼ばれるに相応しいこの景色自体が震災の「爪痕」となっている。
現地を案内してくださった方の話によれば、僕が泊まっているこのホテルも津波によって全壊したため、新しく高台に建て直したそうだ。

どうりできれいなわけだ。

僕はその「再建」したホテルの一室で、翌日のことを考えていた。

その翌日は岩手県立高田高校の卒業記念式典にサプライズゲストとして出演させていただく。
この高田高校も津波で甚大な被害に遭ったため、その生徒らは震災の年から廃校になった学校に通学することを余儀なくされた。
あれから三年が経過した現在も、今もってその復旧の目処が立たず、この度の卒業記念式典もその廃校になった「大船渡農業高校」の体育館で行われた。

近年では大都市の私立高校などで、こういった式典にミュージシャンや著名人などのゲストを呼ぶ例は珍しくない。
だが、今回僕が出演させて頂いた高田高校の趣旨はそういった一連のものとは一線を画する。
なぜならこの学校はゲストを入れての卒業記念式典は恒例ではなく、今年限りのものだからだ。

事前に学校側から頂いたFAXを読ませてもらった。
そのFAXによれば、今年卒業する生徒さんたちは、あの「震災」の年の四月に入学された生徒たちだそうだ。
震災直後だったため、入学式も四月に執り行うことが出来ず、やっとの思いで五月に行い、制服も被害で失ったため、私服で出席する者も少なくなかったという。
中には震災でご両親を失った生徒もいる。
学校側やPTAはそんな彼らをとても不憫に思い、「せめて卒業式だけは何かいい思い出に残ることをしてやりたい」という一心で今回の卒業記念式典に至ったのだと。

そこで、僕に白羽の矢が立った。

何年か前の僕であれば、そんな重責に耐えられないとお断りしていたかもしれない。
しかし、寄る年波に「人とは何か」「人生とはなにか」という抽象的な理念と向き合うべく覚悟が決まってきていたので、今回頂いたこのお話を僕は有難くお受けした。

記念式典当日。
前日とは打って変わって陸前高田の空は雲一つない快晴だった。
ホテルを出発して車で30分。
僕たちは「旧大船渡農業高校」の校舎についた。
市長の挨拶や卒業生のインタビューなどで二時間ほどの待ち時間を経ていよいよ僕の出番だ。

「それが大事」で登場した。

僕が勝手に描いていた「悲壮感」のようなものは彼らの表情の中には微塵もなかった。
ただ明るく元気よく皆で「大合唱」した。
曲が終わり短いMCをする段取りになっていた。
出番前まで僕はあの話をしよう、この話をしようと、沢山思い巡らせていたのだが、あまりにも「達観」した彼らの満面の笑顔を見た途端、僕の言葉など陳腐に過ぎないと思い知らされた。
急遽、楽しげな話に切り替え、短めにMCを切り上げ、次の曲に繋げた。

「君の名前」を歌った。

おそらく彼らもこの曲は初めて聴くはずだ。
にもかかわらず、最後は全員で一緒にサビを合唱した。
ステージ上の僕の身体の中から熱いものがこみ上げてきているのをはっきりと感じた。

予定ではここままでだったのだが、司会者の方からもう一度彼らのために「それが大事」をとリクエストがあった。
僕は勿論、二つ返事。
アンコールに突入した。

彼らにとって僕の言葉など、どれも陳腐な気がした。
だが、あえて僕は最後に一言だけ置いてきた。

「人は大切な何かを失っても前に進み続けなければならない。でも、いつか必ず良くなる!約束する!卒業おめでとう!」と。

あの震災から今日でまる3年。

僕たちは何を学び、何を卒業できたのだろうか。

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大滝詠一様

カウントダウンライブの控え室で僕はその訃報を知りました。

2013年12月30日。
日本の偉大なミュージシャンである大滝詠一さんが永眠されました。
享年65歳。

大滝詠一さんの音楽は、僕らの青春にピタリと貼り付いて、それを聴く者を魅了してやみませんでした。
【A Long Vacation】
【Each Time】
【Niagara Triangle vol.2】
数え上げたらキリがありませんが、少なくとも僕の青春を語る上で、これらのアルバムは欠かせないものでした。
中でも【Niagara Triangle vol.2】に収められている【白い港】【オリーブの午后】などは、今でも鼻歌でフルコーラス歌えるほどに聴き込んだものでした。

大滝さんが産み出す音楽は、常にその背景や情景を描写する巧みで新鋭的な表現が見え隠れする一方で、どこか懐かしく、古き良き時代を彷彿させるような貴石が曲のあちこちに散りばめられていました。
その秀逸を極め、卓越したセンスに触れる度に、若かりし日の僕は感嘆の声を上げたものでした。

大滝さんの音楽は、沢山のミュージシャンに影響を与えたことは間違いありません。
ミュージシャンの端くれである僕も紛れもなくその一人です。
僕らは、ポップミュージックの在り方や、それが人々に与える影響力を大滝詠一さんから教わりました。
常に革新的でヒップな表現をされてきた大滝詠一さん。
アメリカンポップミュージシックと日本古来の【わび・さび】を見事、融合させることに成功した唯一無二のミュージシャンであった大滝詠一さん。

日本のポップミュージシック界は大きな存在を失いました。

ですが、大滝詠一さんがこれまで産みだされた音楽は、これからも永遠に聴き継がれ、歌い継がれ、人々の心に残っていくことでしょう。

音楽を通して、僕らに沢山のことを教えてくださった大滝詠一さんに心から感謝申し上げますと共に、心よりご冥福をお祈りいたします。

大滝詠一様。

本当に本当に素敵な曲をありがとうございました。

さようなら。

そして、どうぞ安らかにお眠り下さい。

tckw band 立川俊之

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November’s Wind

突然、寒くなってきた。

思えば、今年は丁度いい季節というやつが、すべて抜け落ちてた気がする。

冬からダイレクトに夏になり、夏からダイレクトに冬になったとでも言おうか…。

この夏の僕らは文字通り【アツイ夏】を過ごした。
気温もさる事ながら、活動やそれに伴うテンションに至るまで、すべてがアツイものだった。

そんな【アツイ夏】が終わり、心の準備もろくに出来ていないまま、寒い冬を迎えている。
物理的にも、精神的にも冷たい風が吹きつけている。
夏がアツかった分だけ、寒さも厳しく感じる。

ライブ活動もひと段落と思いきや、それも束の間、バンド活動はまだまだ続く。
ここからは、来年発売予定のアルバム制作と、今年二回目となるツアーのリハーサルに入る。

スタジオに篭る日々…。

帰り道、やたらと冷たい風が吹く。

根拠なきネガティブにやられそうになる気持をグッと引き上げてくれるのは、いつもバンドであり、ライブの声援であり、音楽そのものである。

改めて有難いと思う昨今だ。

今年も余すところ、45日程度。

もう一度、襟元を正して、残り少ない今年に決着をつけよう。

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Back In JPN

先日の21日に台湾より帰国した。
Twtrなどでご存知の方も多いと思うが、この10月、僕らは初めての海外ライブを【台湾】という舞台で経験した。
今年の春頃にはもうほぼ決定していたので、かれこれ半年近く、僕の中で緊張が続いていた。
夏頃からは本格的にイベントライブやらなんやらに追われていたため、10月はあっという間に訪れた。
しかし、これは今だから言えるが、何を隠そう9月は殆ど毎日のように眠れなかった。
それだけ、緊張していたのだろう。

そして、台湾本番の日を迎えた朝。

ホテルの部屋から台北の街を見下ろしながら思ったことは実に意外だった。


– いつもより落ち着いてる –


その日を迎えるまでは緊張で不眠がちでさえあった。
しかし、いざ、その日を迎えてしまえば、もう逃げようがないと悟ったのか、かえって冷静になり、普段よりも穏やかで、それでいて晴れやかだった。
しかし、【ライブをやりたい!】という、強いテンションも同時に胸の中に存在していた。
その時のことを上手くは言えないが、何しろ初めて味わう不思議な感覚だった。

その後、大したことはないのだが、オフ日にちょっと体調を崩した。
しかし、二日目の高雄ライブの朝もやはり同じような気持だった。
すぐれない身体とは裏腹に【ライブをやりたい!】というテンションだけは失うどころか、強くなっていた。

不思議だった。

台湾ライブは、おかげさまで大成功でした。
お客さんの盛り上がりが、あまりに凄かったので、逆にちょっとこちらが面食らったくらいである。

とはいえ、無論、まだまだ反省点は沢山ある。
それらは、今後のライブに反映させていきたいと思うが、まずは、初海外ライブとしては上出来ではなかったかと自画自賛で感想を結びたい。

台湾でのライブに尽力してくださったスタッフの皆さん、お越し頂いた皆さん、そして、日本からも熱いエールをくださった皆さん、本当にありがとうございました。

この台湾ライブを機にtckw bandは更なるパワーアップに努め、これからも、もっと暑苦しい、いや、熱く狂おしいライブをやり倒しますので、今後ともよろしくお願い致します。


しかし、日本に戻ってきた今…


毎日、眠くて仕方ない。(笑)
【緊張】とは恐ろしいものだ。(苦笑)

 

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怒涛の日々。

怒涛の日々。

台湾~仙台~大阪~茨城~東京~埼玉~東京~大阪~岡山~高知~東京~台湾

9月の頭から怒濤のスケジュールだった。
今月の台湾ライブのプロモーションのため、9/2から台湾に渡った。
台湾の中でも、台北~高雄と、これまた東京-大阪間くらいの距離を車移動。
台湾料理に舌鼓を打ちつつも、地元メディアに出演させて頂いたりと、なかなかハードなスケジュールをこなした。

そして、帰国するやいなや仙台へと向かう。
9/8の定禅寺ジャズフェスでのライブは、お陰様で大盛況のうちに幕を閉じた。
翌日も仙台。
市内にあるライブハウスenn 2ndでのライブ。
2daysの仙台ライブを終え、そのまま帰途につく。

戻るやいなや、今度は大阪。
7月以来の大阪ライブ。
ライブ翌日に東京戻り。

戻った翌日は、久しぶりの僕のソロアコースティック インストアライブ。
BassのPuppyにお手伝いしてもらいつつ、茨城へ。
2ステージを終え、帰途につく。

その翌日は一日中ライブリハーサル。

そしてまたライブ。
思えば、久しぶりの東京。
吉祥寺Planet Kでライブ。

やっと、二、三日の空きがあり、その後、埼玉は川口のフェスに出演。

そして、数日後に渋谷RUIDO K2でライブ。

あっという間に9月が終わった。

そして今月は、11日から大阪・岡山・高知。
それから戻ると、いよいよ台湾2daysのライブが控えている。

10月18日  台北【河岸留言】
10月20日 高雄【THE WALL高雄】

緊張と期待が入り混じるtckw band初海外ライブ。

やはり、今年はあっという間にMerry Xmasという具合になりそうである。

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夏の思ひ出 2013

今年も夏が終わろうとしている。

この夏、僕らのバンドは7月の東京・名古屋・大阪のツアーに始まり、札幌・福島・宮城・群馬・岐阜などなど、全国各地を回った。
そのどれもが、想い出深いものとなった。
各地で出会った皆さんの笑顔は、今でも心に焼きついている。

今年の4月から始めたばかりのヨチヨチバンドではあるが、一つづつ確かな手応えを感じている。

そして、気を抜く間もなく、この秋からも宮城・新潟・埼玉・東京・大阪・岡山・高知そして、台湾とライブは続く。
今年は一年が嵐のように過ぎていきそうである。

この夏お会いした全国各地の皆さん、本当にありがとう!
そして、これからもtckw bandを可愛がってやってください。

tckw

 

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With Imagine Dragons

もうYouTubeなどで観てくれた方もいると思うが、先日、アメリカのアーティストImagine Dragonsと競演させて頂いた。
これは、彼らの日本におけるセールスプロモーションを兼ねたビデオ撮影でもある。

 

このお話を頂いた当初、日本のスタッフによれば、なんでも、今回、僕をキャスティングして頂いた理由は、彼らが【アメリカの応援歌】を歌っていて、この【応援歌】という部分が、シンクロして、僕に白羽の矢が立ったというものだった。

 

なんか【アメリカの応援歌】とか言われると【クレバーな備長炭】て言われているようで、もう一つピンと来なかった。

 

しかし、後に彼らと会い、そんな懸念は吹っ飛んだ。

 

事前に頂いていた資料によれば、彼らは、今や世界で飛ぶ鳥を落とす勢いだそうで、その実績も全英、全米で2位を記録するセールスと聞き、兎に角、面食らったわけである。
恥ずかしながら、この時点での小生は、このバンドについて、一切の知識も持っていなかった。

 

大変、失礼致しました。

 

そして、勿論、楽曲の方も事前に頂いていたわけだが、その曲もさることながら、今回一緒に演らせて頂いた曲【It’s Time】の歌詞が素晴らしかったのである。
その歌詞の詳細については、それぞれで照査して頂くとして、この歌の中でサビの【今でしょ!?】は無論、素晴らしいのだが、僕が一番好きな箇所を敢えて言わせて頂くなら

 

“Packing my bags and giving the academy a rain check”

 

【とりあえず、学校には、テキトーな理由をつけて、さっさと荷物まとめなきゃ!】的な部分である。

 

なんか【若き】とか【若さ故】とか、兎に角、【取り返しつかなくなっちまわないうちになんとかせな!】的な匂いがとても心地良かった。

 

丁度、この4月から僕も若手の二人と3ピースのバンドを始めたばかり。
彼らは、経験値こそ少ないが、何しろ未来がある。
目線がずっと先を見ている。
ほんの僅か昔に、自分も持っていたはずであろう視線だ。
Puppyとしんじは、そんなことさえ、思い出させてくれた。
そのため感謝もしている。

 

話を戻そう。

 

都内某所にあるレコーディングスタジオで初めてお会いしたImagine Dragonsは、その実力や実績からは想像も出来ないほど、と言ってはなんだが、好青年で、失礼だったら申し訳ないが、兎に角、気さくなアンちゃんたちだった。

 

【ナイスガイ】とか言うべきなのだろうか…。

 

数回のリハーサルの後、本番のカメラが回る。
その表情の中には、さっきまでの【気さくな兄ィ】はもういない。
実績、実力通りのアーティストの顔だ。

 

そして、撮影が終わると、彼らは再びあの気さくな兄ちゃんに戻り、僕もただのおっさんとして、お互いのことをインタビュアーを交えて語り合った。

 

曲のことについて。
ソングライトについて。
等々…。

 

ある種の共通点もあった。

 

リードヴォーカルのダン君も僕と同じように学校が嫌いで、曲ばかり書いていたんだそう。

やはり、バンドマンなんてものは、世界広しと言えど、皆、似たようなものなのかもしれない。
僕なんかとは桁が違うので、失礼かとは思うが、勝手に少し安心した瞬間でもあった。

 

楽しい時というものは、アッという間に過ぎるもので、彼らともいよいよ暇乞いの時間となった。

 

帰り際、ダンが僕にこう訊く。

 

『日本の食べものを何か教えてくれないか?』

 

彼らは、所謂、ベタな日本食を既に食べ尽くしていたようだったので、

 

『合鴨南蛮!』

 

と応えてみた。

 

すると、通訳の素敵な女性が、かなり困った顔をして、

 

『Duck… ? Soup… ? Noodle…???』

 

と困惑しながら訳してくださったのには笑った。

 

結局、ダンはその空気を察して、 

 

『OK!! アイガ〜モ、ナンバ〜!』

 

と微妙に違う学習をしたまま、帰っていった。

 

 

閑話休題…。

 

 

最後になりましたが、今回、このような素敵な場所を用意してくださったユニバーサルミュージック洋楽担当の竹野さんや、スタッフの皆様にこの場を借りてお礼を申し上げたい。

 

本当に素晴らしい出会いをありがとうございました。

 

そして、何よりImagine Dragonsのメンバーと彼らの関係者の皆様に感謝致します。

 

ありがとうございました。

 

これからのImagine Dragonsの活躍に、是非、皆さんも期待し、注目して頂きたい!

 

僕も、自分の若きバンドメンバーと共に、最後にもう一度だけ、悪足掻きしてみたいと思う。
【取り返しつかなくなっちまわないうちに!】

 

tckw

 

【It’s Time】Imagine Dragons with tckw

http://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=NyBwEkGDEeg&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DNyBwEkGDEeg%26feature%3Dyoutu.be

 

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ツアー完結!

7/4の東京からスタートとした東・名・阪ツアーが、昨日、無事終了した。

tckw bandのトリオで回った初めてのツアー。

…。

感慨深い。

==To You==

ライブに足を運んでくれた皆さんのお陰で、三ヶ所ともに、大成功をおさめることができました。
観に来てくださった皆さん、本当にありがとうございました!

====


今だから話せるが、正直、スタートするまでは、不安で仕方なかった。

が、しかし、いざ蓋を開けてみると、そういった懸念は、一切合切、どこかに吹き飛んでいた。

千秋楽の名古屋終了後、メンバー三人だけで打ち上げた。
どうしても、最後は、メンバーのみで打ち上げたかった。

tckw band初のツアーということもあり、メンバー思い思いにこのツアーを振り返った。

【なかなかいい滑り出しじゃないか?】

これが全会一致の感想だった。

ツアー終了でホッと息をつけるかと思いきや、さにあらず。
ここからは、怒涛のイベントが続く。

まずは、仙台。

今月は、それぞれ別のイベントで、仙台には二度向かう。

8月、9月からは、短いメニューの対バンド形式で東・名・阪はもとより、その他各地を毎月のように回る予定だ。

そして、まだ発表段階ではないので、詳細については、控えさせて頂くが、10月には、大きなイベントが予定されている。

この夏は、異例の猛暑が予測されているようだが、僕ら三人にとっても、文字通り【熱い夏】になることは、間違いなさそうだ。

tckw

 

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ツアー開始!

さて、いよいよ明後日から【No Meaningful Life Tour】がスタートする。
まずは、4日の代官山Loopからだ。
今回は、例年のツアーよりも、一層チカラが入る。
それには、幾つかの理由がある。

◯人生、初めての3ピースバンド。
◯人生最後のパーマネントバンド
◯一からの【出直し】を賭けたバンド
◯メンバーがオモロ過ぎる。
などなど。
これら、全ての始まりだからである。

今年の4月から本格的に始めたばかりの、まだまだヒヨッコのバンドではありますが、どいぞ、ご期待ください!

皆さんとライブ会場でお会いできるのを楽しみにしております!

tckw

 

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