青春綺譚
2014年7月13日
「ドストエフスキーの二重人格くらいなら俺にも書ける」
突き抜けるほど馬鹿な少年だった僕は親友たちの前でそう宣うと、その場の全員に一笑に付された。
当然である。
知らないということはあまりに恐ろしい。
前回、旧友についてコラムを書いた辺りから矢鱈と当時を思い出すようになった。
歳か。
トシか。
どうでもいいか。
十代の頃の僕らは矢鱈と語り合っていた。
毎日のように僕の家に誰かが遊びに来ては、まだ学生だというのに朝まで語り合い、フラフラのまま学校に行く者、そのまま午前中まで我が家でサボる者と、まあとにかくそれはそれは酷いものだった。
太宰治に坂口安吾、永井荷風に谷崎潤一郎、J.Dサリンジャーにドストエフスキー、カミユだ、カフカだ、レイモンド・カーヴァーだと、よく知りもしないのに無頼派はああだ、耽美主義がこうだと、矢鱈と聞いた風な大口を叩いていたものだった。
終いには、ニーチェだ、デカルトだ、カントだ、キルケゴールだ、ユングだ、フロイトだ、アドラーだと、上っ面のにわか哲学者の登場である。
もう、こうなると始末に負えない。
しかし、その破竹の「バカトーク」はさらに映画や演劇にまで及ぶ。
トリフォーだ、ゴダールだ、フェリーニだ、ブニュエルだ、ジム・ジャームッシュだ、黒澤明だ、小津安二郎だ、鈴木清順だ、寺山修司だ、山海塾だ、大駱駝艦だとまあまあよくもあんなデタラメなことを偉そうに語れたものである。
今、考えるだけで恐ろしい。(笑)
冷汗三斗の思いである。
そして、時々「ちょいかじりの美術野郎」が遊びに来た日などはもう大変である。
ゴッホだ、ルノワールだ、モネだ、ゴーギャンだ、ドガだ、モローだ、ピカソだ、北斎だ、雪舟だと語り、印象派はどうで、ロマン主義はああで、写実主義とはこういうもので、ヘレニズム文化に影響を受けた美術がああだのこうだのと本当だか嘘だかよく分からないうんちくを朝まで傾けるのである。
あの頃そういうスノッブな連中が僕の周りには沢山いたんだ。
そして、その語らいの後ろでは、BGMにストーンズだ、デビッド・ボーイだ、フーだ、T-REXだ、XTCだ、コステロだ、ポリスだ、チープトリックだ、カルチャークラブだ、ビリージョエルだ、カーズだ、INXSだ、ウルトラボックスだ、ジョーンジェットだ、プラズマスティクスだ、クラッシュだ、マイケルジャクソンだ、エアロスミスだ、ブームタウンラッツだ、スタイルカウンシルだ、ピストルズだ、ニナハーゲンだ、ワムだ、APPだ、ジェネシスだ、ケイトブッシュだ、ELPだ、KISSだ、エアサプライだ、ジミヘンだ、スクリッティポリッティだ、ジャーニーだ、エコーアンドザバニーメンだ、キュアだ、S.O.Sバンドだ、スティービーワンダーだ、マーヴィンゲイだ、マドンナだ、ウィルソンピケットだ、ツェッペリンだ、デュランデュランだ、コモドアーズだ、ボズスキャッグスだ、シャーデーだ、マイアミサウンドマシンだ、大滝詠一だ、ユーミンだ、松田聖子だ、美空ひばりだと、まあとにかく趣向も節操もへったくれもあったものではなかった。
それだけ厚顔無恥を晒して偉そうなことを宣っておきながら、最後は決まって「恋と涙とロックンロール」に帰結する。
友達が帰った後、僕は一人でギルバートオサリバンを聴きながらヘルマンヘッセを読んで泣いたりしていたんだから。(笑)
なんともお粗末である。
あの頃のそういった話。
今思い返しても自分の中には微塵も残っていない。
しかし、それでいいのである。
青春なんてものは不確かで脆弱で無責任でデタラメだから美しい。
「何を覚えられたか」より「何を忘れられたか」が大事に思えてしまう昨今である。
tckw