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青春綺譚

「ドストエフスキーの二重人格くらいなら俺にも書ける」

突き抜けるほど馬鹿な少年だった僕は親友たちの前でそう宣うと、その場の全員に一笑に付された。
当然である。
知らないということはあまりに恐ろしい。

前回、旧友についてコラムを書いた辺りから矢鱈と当時を思い出すようになった。

歳か。
トシか。
どうでもいいか。

十代の頃の僕らは矢鱈と語り合っていた。
毎日のように僕の家に誰かが遊びに来ては、まだ学生だというのに朝まで語り合い、フラフラのまま学校に行く者、そのまま午前中まで我が家でサボる者と、まあとにかくそれはそれは酷いものだった。
太宰治に坂口安吾、永井荷風に谷崎潤一郎、J.Dサリンジャーにドストエフスキー、カミユだ、カフカだ、レイモンド・カーヴァーだと、よく知りもしないのに無頼派はああだ、耽美主義がこうだと、矢鱈と聞いた風な大口を叩いていたものだった。
終いには、ニーチェだ、デカルトだ、カントだ、キルケゴールだ、ユングだ、フロイトだ、アドラーだと、上っ面のにわか哲学者の登場である。
もう、こうなると始末に負えない。
しかし、その破竹の「バカトーク」はさらに映画や演劇にまで及ぶ。
トリフォーだ、ゴダールだ、フェリーニだ、ブニュエルだ、ジム・ジャームッシュだ、黒澤明だ、小津安二郎だ、鈴木清順だ、寺山修司だ、山海塾だ、大駱駝艦だとまあまあよくもあんなデタラメなことを偉そうに語れたものである。
今、考えるだけで恐ろしい。(笑)
冷汗三斗の思いである。
そして、時々「ちょいかじりの美術野郎」が遊びに来た日などはもう大変である。
ゴッホだ、ルノワールだ、モネだ、ゴーギャンだ、ドガだ、モローだ、ピカソだ、北斎だ、雪舟だと語り、印象派はどうで、ロマン主義はああで、写実主義とはこういうもので、ヘレニズム文化に影響を受けた美術がああだのこうだのと本当だか嘘だかよく分からないうんちくを朝まで傾けるのである。
あの頃そういうスノッブな連中が僕の周りには沢山いたんだ。
そして、その語らいの後ろでは、BGMにストーンズだ、デビッド・ボーイだ、フーだ、T-REXだ、XTCだ、コステロだ、ポリスだ、チープトリックだ、カルチャークラブだ、ビリージョエルだ、カーズだ、INXSだ、ウルトラボックスだ、ジョーンジェットだ、プラズマスティクスだ、クラッシュだ、マイケルジャクソンだ、エアロスミスだ、ブームタウンラッツだ、スタイルカウンシルだ、ピストルズだ、ニナハーゲンだ、ワムだ、APPだ、ジェネシスだ、ケイトブッシュだ、ELPだ、KISSだ、エアサプライだ、ジミヘンだ、スクリッティポリッティだ、ジャーニーだ、エコーアンドザバニーメンだ、キュアだ、S.O.Sバンドだ、スティービーワンダーだ、マーヴィンゲイだ、マドンナだ、ウィルソンピケットだ、ツェッペリンだ、デュランデュランだ、コモドアーズだ、ボズスキャッグスだ、シャーデーだ、マイアミサウンドマシンだ、大滝詠一だ、ユーミンだ、松田聖子だ、美空ひばりだと、まあとにかく趣向も節操もへったくれもあったものではなかった。

それだけ厚顔無恥を晒して偉そうなことを宣っておきながら、最後は決まって「恋と涙とロックンロール」に帰結する。
友達が帰った後、僕は一人でギルバートオサリバンを聴きながらヘルマンヘッセを読んで泣いたりしていたんだから。(笑)
なんともお粗末である。


あの頃のそういった話。
今思い返しても自分の中には微塵も残っていない。
しかし、それでいいのである。
青春なんてものは不確かで脆弱で無責任でデタラメだから美しい。
「何を覚えられたか」より「何を忘れられたか」が大事に思えてしまう昨今である。



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Say Good Bye To My Home Town

流れていく車窓の風景はあの日とはどこかが違う。その違和感から大方想像はついていた。
車内に告げられた親しみのある駅名のアナウンスがなかったら、僕は間違えて降りなかっただろう。
それほどホームも変貌していた。

駅前もその頃のものとはまったく姿形を変えていた。辛うじて「東口」と「西口」が判別できる程度で、眼前には高層型の居住施設が聳え立っていた。

「ここは、一体どこの新興住宅地だろう?」

1960年代前半。
当時は「東アジア一のベッドタウン」と呼ばれ、ある種の未来都市であった僕の「地元」は経年の老朽化のためURの対象都市となり、近々完全に「フルモデルチェンジ」することになった。
そんな情報を当時には無かった通信手段によって知らされたことで、改めて時間の長さを感じた。

前回のコラムでも書いたが、想い出の街に「お礼」を言うつもりで、何十年振りかの駅に降り立った。
その日は夕方から旧友たちと会う約束をしていたが、僕は早い時間から家を出た。何時間もかけてその様変わりした街と、辛うじて面影を残している僕の想い出の場所をゆっくり歩いて見て回りたかったからだ。
親しみのあった場所はあらゆるものが撤去され「衣替え」の準備をしていた。「夜はゴーストタウンみたいで、ちょっと怖いぜ」と旧友の一人が言っていたのを思い出した。

– 足が少し痛む –
夢中で沢山の距離を歩いたせいだ。
片手に携帯を持ち、我が街を片っ端から写真におさめた。

旧友との待ち合わせの時間が近づいていた。最後にもう一度生まれ育った場所たちにお礼を言ってからみんなに会いに行こうと、郵便局前の横断歩道を渡ろうとしたそのときだ。見たことのある「おじさん」が通りの向こうで自転車に跨っているのが目に入った。
その男も少し訝しげな眼差しでこちらを見ている。

「トシ…、だよね?」

その男を理解するのに時間はいらなかった。
旧友である。
彼も今日の飲み会のメンバーだ。
「そうだよ!いや、いや、久しぶりだなぁ」
僕は思わず感嘆の声を上げていた。
「トシ、もう来てたんだぁ?」
旧友は少し照れくさそうに会話の糸口を見つけた。
「うん。みんなに会う前に色々見ておきたかったから早めに来たんだよ。でも、お前なんでここにいるの?」
彼はこの辺りが地元ではない。中学校は同じだが小学校は違う。彼は駅に近い方に住んでいたので微妙にテリトリーが違う。そんな彼がこの辺りに用があるはずもない。ましてや既にゴーストタウン化したこんなところに。
「いやぁさ、この辺はまだ当時の面影が残ってるから今日の飲み会までにトシに想い出の場所を写真に撮って見せてあげようと思ってさぁ」
右手に持っていた彼のスマートフォンに僕は一瞥をくれた。
「いやぁ、悪いね…。ありがとなぁ」

僕は思い出していた。
こいつの「もののついでだから」という恩着せがましくないさりげない優しさを。
そして、当時から彼のそんな優しさに曖昧にしか礼を云わなった自分も。
「ごめんなぁ、でも俺も沢山撮っちゃったよ」
「そうだよね」
彼は少し残念そうに微笑む。
「でも、後で見せてくれよ」
「いや、いいんだよ。ただトシは俺とは若干テリトリーが違うじゃん?だから心の琴線に触れる場所も若干ズレがあるかもしれないから、上手く撮れているかどうか分からんし」
街がどんなにリニューアルしようとも、彼のこういう気遣いは当時と何も変わっていない。僕は只々、彼のそんなところに劣等感だけを抱くような「偏屈野郎」だった。

旧友たちに会うべく、僕たち二人は一緒に駅向こうの待ち合わせの店に向かうことにした。彼が自転車を押しながら僕たちは並んで歩いた。
こんな「おっさん」が仲良く話しながら歩いている様を後ろから見たらどんな絵面なんだろう、と思ったら少し可笑しかった。

駅前の小さなターミナルは、幾分日が長くなった夕景とともに生活の慌ただしさを醸し出していた。
バスやタクシーの往来。
買い物に急ぐ人たち。
待ち合わせと思しき人たちは皆、無口に携帯を見つめている。
僕ら二人はそんな慌ただしい通りを横切って待ち合わせの店へと向かった。

「いらっしゃいませー」

今日の幹事である旧友の奥さんの元気の良い朗らかな声に迎えられた。
この店は彼女が経営している。
彼女は僕らの少し先輩に当たる。
「お久しぶり、立川くん」
「どうもぉ、ご無沙汰してます」
「この間、テレビ観たよ」
「いらんこと、云わんでいいっすよ」
少し照れながら応えた僕に彼女は柔らかく笑った。
「今日はごゆっくり」
「ありがとうございます」
僕と自転車おやじくんは店の中へと入った。

店の奥に向かうと、そこには既に三人の旧友がビールを飲んでいた。
「おう、来た来た」
最初に声を上げたのは「幹事くん」。
「いや、いや、久しぶりだなぁ」
誰にとも無しに僕は言った。
店の奥の座敷が今日のテーブル。
一番奥に座っていた「赤ジャージくん」の右隣りに僕は腰を下ろした。
僕の正面に残りの三人が座り、これで今日のメンバーが僕を含め五人全員集合したことになるらしい。
なぜ「なるらしい」かと云うと、いつもこの幹事くんが招集をかけてくれるため、彼に任せっきりなので幹事くん以外、皆その日のメンバーをハッキリと把握していないのだ。
この幹事くんに就いて少し話しておこう。
彼は、先ほど偶然再会した「自転車おやじ」と同じ小学校。中学に進んでから皆が顔を合わせることになる。
幹事くんは、ガキの頃からどこか捉えどころがない感じのする男で、若い頃は「軽いやつ」と誤解をしていた。
今では大変申し訳なく思っている。
彼の優しさは自転車おやじとまた一味違うが、やはりさりげない。
そんな彼は「同窓会」や「同期会」といったものに余念が無い。
四半世紀以上、こういう集まりを彼は取り仕切っているのだから、最早「メソッド」と言っても過言ではない。
この日集まれたのも他ならぬ彼のおかげである。
彼の招集能力は目を見張るものがあるなぁと、昨今は感心している。
数年前に僕のライブでも、彼のその「招集能力」のお世話になった。
この場を借りて改めてお礼を言いたいと思う。
ありがとう、幹事くん。(笑)

さて、話をテーブルに戻そう。

僕らのテーブルの座り位置関係をもう一度言っておくと、僕の左隣りに赤ジャージくん、僕の正面左側に幹事くん、僕の真正面にテレキャスくん、そしてその隣りに自転車おやじくん。

このテレキャスくんは中学が一緒で同じクラスになったことはなかったが、高校に進んでから一緒にバンドをやっていた。その頃彼が使っていたギターがテレキャスターだったので、ここでは呼称を「テレキャスくん」にしておく。本人の同意は得ていないが。(笑)
彼も紆余曲折あり、長年勤めた会社を退社し、最近新たな挑戦を始めた。
素晴らしいと思っているし、微力ながら応援もしていきたいと思っている。

そして最後に赤ジャージくん。
彼は、実はこの中で一番古い友達だ。
彼とは小学校1年生のときから一緒。
「お前とは40年来の仲だって知ってたか?」
その日、僕がそう言うと
「40年ってなんだよ。人類の時間か?」
と赤ジャージくんは照れ臭そうに笑った。
彼は中学、高校と陸上部で、部長を務めていたこともある。
高校の頃はいつもジャージ姿で僕のウチに遊びに来ては、朝まで語り明かしたものだった。
実際に赤色だけを着ていたわけではないとは思うのだが、僕らの中では赤ジャージのイメージが強いので、ここでの呼称は「赤ジャージくん」としておく。勿論、これも本人の同意は得ていない。許せ。(笑)

僕らのテーブルの話題は専ら「健康」と「死」。(笑)
話題が逸れても、せいぜい「野菜」について。
「おっさんになると、これだからなぁ」
と誰かが言うと、皆一様に笑った。

笑いがおさまると仕切り直すような空気に戻る。
まだ人格形成が出来る前からの友達だから下手な気を遣う者はいない。
しかし、お互いのことは良く知っているが、普段から頻繁に会うというわけでもない。
その分、知り得ているからこそ、かえって気を遣うという図式も否めない。
皆、一様に「現在」に触れることもなく、ある種、慎重に言葉を選びながら会話しているようにも見えた。

「あと、何回このメンツで会えるかなぁ?」

ぽそっと赤ジャージが呟く。
一瞬の間があった後、皆は大声で笑った。
「まだ、そこまでじゃないっしょ?」
と幹事。
「いや、あながち笑えんかも」
と僕。
「まだ、20回やそこらは会えるでしょう?」
幹事のその言葉はテーブルの上にぽとりと落ちた。
「いや、それはリアリティ無いっしょ」
赤ジャージが呼応する。
「うん。無いな」
僕は呟くように言った。
赤ジャージの援護射撃という形になってしまった。
「やめ。やめ」
空気を察したテレキャスが笑いながら場を遮る。
「なんか、暗いよー」
と幹事も笑いながら言う。
自転車おやじは終始ニコニコしている。
そして、こう言った。
「俺、サラダ食っていいかなぁ?」
皆、遠慮なく笑った。

そんな楽しくて、どこか脆い会話は、あっという間に時間を奪っていた。

「じゃ、そろそろ行きますか」

幹事くんが絶妙なタイミングで結ぶ。
その言葉に皆、異論を唱えることなく従った。

彼は「幹事くん」でもあるが、同時に「お開きくん」でもある。
無闇矢鱈に「引っ張る」というような無粋なことはしない。
長年に渡り「旧友の集まり」を手掛けてきたから故であろう。
「懐かしさも今日はここまで。また近いうちに会おうぜ」というような彼の気持が見え隠れする。
そのさりげない感じが、またそこにいるメンバーを「明日」に向けさせる。
僕たちはお会計を済ませ、店を後にした。

駅まで五人で歩いた。
僕とテレキャスだけが電車に乗り、残りの者は歩いて帰路につく。
改札を抜けて、僕は一度だけ振り返った。
すると、三人がほぼ同時にこちらに向かって片手を軽く上げた。
「またな!」の合図だ。
僕とテレキャスも呼応するように片手を上げた。

テレキャスが住む駅まで一緒に電車に乗った。
「お前と一緒に電車って何年ぶりだ?」
僕が言うとテレキャスは曖昧に微笑んだ。
「だよねえ。気が遠くなるわ」
僕らは笑った。

テレキャスの駅で僕も一緒に降りることにした。
ほんの一時間ほど、駅前の居酒屋に二人で立ち寄った。

-ご同輩、また近いうちにな!-

終電をとっくに逃した僕を、テレキャスがタクシー乗り場まで見送ってくれた。

タクシーの車窓から流れる景色はいつもと同じ都会の夜景だった。
後部座席のパワーウインドウを少しだけ開けると、6月の真夜中の湿った空気が飛び込んできた。
大きく深呼吸をしてみた。

そして、今日のことを考えていた。
僕はあいつらの「優しさ」にいつも不遜な態度でしか応えてこなかった。
そんな「偏屈野郎」に彼らはあの日と変わらぬ笑顔をくれた。
たとえ、街が変わろうとも。
そのときハッキリと理解ができた。

僕にとって「地元」とは、あの変わり果てた場所なんかじゃない。
「あいつら」なんだと。

僕は左の人差し指でパワーウインドウのボタンを押して窓を閉じた。
タクシーは夜景を切り裂いて、僕の家へと向かった。


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